上倉田町西町内会
その他のご報告

2008年11月28日(金)
JR線路脇の放置ゴミ対策実施される

このホームページでも、JR線路脇「盛徳寺跨線橋」下で粗大ゴミが放置され困ってきました。一昨年の戸塚区との地域懇談会でこの件問題を指摘した所対策の実施が約束され、今秋写真のようにネットが張られました。その後観察してきた所粗大ゴミの放置は無くなりました。良かった、良かった。少し時間はかかりましたが戸塚区に感謝申し上げます。区との地域懇談会は毎年6月の第4週土曜日の午後に実施されます。今年は何をテーマにするか、皆さんのご意見を募集しています。

2007年7月3日(火)
ゴミ置き場新提案

ゴミ捨て場を見れば、その町の「レベル」が推量できるでしょう。いつも綺麗で、正しく分別出来ている街はきっと素敵な人が住んでいると見られます。ゴミ捨て場の整理を進めるために今回「移動式ゴミ捨てカゴ」を試験採用してみました。場所は八幡様の入口、中山様のご厚意で使わせていただいている駐車場です。写真のトラックが出入りするので、ゴミの回収後は撤去する必要があります。現在ネットをおいて、その中にゴミを捨てていますが、猫やカラスが悪戯してしまいますし、ゴミが大きく広がってしまいます。この対策としてこの移動式ゴミカゴを使ってみようかと思います。他の班の方も「この方がベター」と思われたら役員さんにお伝え下さい。なお、このゴミカゴは最大サイズで、他に2種類あるそうです。使用を終えたらパタパタと畳んで片付けられます。

2007年6月4日(月)
明治学院大学「戸塚まつり」開催されました

6月1,2日は入梅前の爽やかなお天気でした。例年の戸塚祭りが開催されました。明治学院大学は「オープンカレッジ」を標榜され、様々な機会を作って、地元住民を大学に招いて貰っていますが、戸塚まつりはその最たるものです。体育指導の中山さん始め皆さんが「焼きそば」作りに大汗をかいていられました。図書館では創始者「ヘボン博士」の和英・英和辞書が展示されていました。大学の近代日本に果たした役割の大きさと、明治時代人の進取の精神を強く印象付けられました。所謂「大学祭」とは違った、地味で真面目な展示が多く、好感を持って見学しました。来年、再来年と一層の発展を成し遂げる為には、地元住民の私達がもっと参加をする事が大切です、ね。

2007年4月26日(木)
「東戸塚小学校学校開放総会」開催報告

「学校が地域との関係で存在する」そんな当然な考えに基づいて学校は空いた時間を地域に開放していてくださる。その運営について、19年度総会が4月25日夜に実施されました。テニスやサッカー、ジャズダンスなど等、20余り、使用している団体の代表も出席しました。年間費用は30万円余り
総て市が助成していました。受益者負担が無いばかりか、学校の校庭に「タバコ」の吸殻が落ちていた、とか校門の電気錠が壊れていた、などの苦情が学校から提出されていました。犯人が利用者と特定できないのでしょうが。
終了したのは午後8時、利用者が自動車で帰宅する姿を確認して、学校側の懸念は事実だろう、と想像しました。この時間まで小学校の校門にロックがされていない状況は異常であります。私は利用者側に座っていますが、利用者の常識に問題があれば、学校開放に「ある種の制限や費用をオンさせる」事が必用でしょう。
利用者の反省を促したいものです。

2007年4月18日(水)
「母の日」のプレゼントは地元で買いましょう

毎朝お花屋さん「夏華」の店先を通って通学、通勤する人は多いと思います。
筆者(町内会長)もその一人です。
お店は郵便局の南隣です。
お洒落な叔父さんが花鉢を捧げ持って、彼女にプレゼントしようとしてます。
叔父さんにとって彼女は奥様かもしれませんし、お嫁さんかも、それともダンスのパートナーかもしれません。
5月13日は「母の日」です。遠くのガーデニングショップなどで用意しないで、地元で買ってプレゼントしようではありませんか。其れが、毎朝無料でお花を見せていただいている
「御礼」でありましょう。

素敵なお父さんに!

2007年4月11日(水)
道端の花壇

山本様のお宅の花壇は何時も綺麗ですが、今はチューリップが並んで咲いています。何とう種類か解かりませんが、奥さんに似て「お洒落な」花です。山本様のご主人は「上倉田町の主治医」さんでした。お優しいお医者様で、みんなから尊敬されていました。私の祖母も父も「山本先生」の言われることには「素直」でした。綺麗な花壇をお手入れされているのは奥さん。でも、私達は奥さんのほかにご主人の「山本先生」を思い起こしてしまう、優しい花壇です。県道を歩かないで、ちょっと遠回りして、この「山本花壇」を見ましょう。れ

2007年3月20日(火)
東戸塚小学校の卒業式、おめでとう。

3月20日、東戸塚小学校の卒業式が行われ、参列してきました。西町内会では戸塚中学、豊田中学、戸塚小学校を合わせて4校が学区域にあたり、青山副会長、中山i長と、私(竹内会長)の三人で分担して、お祝いに参列してた次第です。教育は先ず家庭、学校、そして地域も参加して為されると考え、卒業式に案内があるわけです。卒業式も昔とは随分変わってきました。「蛍の光」「仰げば尊し」も歌われませんし、送辞、答辞もありません。代わりに卒業生、在校生、先生、父兄が合唱します。歌は「あの人同じ美空の彼方に」。卒業生が一人で生きるのではなく、多くの人に守られて、青空に向けて飛び立つ、その喜びや期待が歌われています。送辞、答辞も全員のシュプレッヒコールで為されます。父兄の参列者が卒業生よりも多いこと、特にお父様の出席が多いことなど、大きく良い方に変化した事を実感しました。卒業生の中には涙する生徒もいたり、勿論父兄もハンカチを眼に当てていられる方が多く見られました。6歳の子供を12歳まで育てる間には様々な苦労や悲しみもあったことでしょう。その分、今日の日の喜びが増し、中学生になってからの困難や障害を克服する勇気が湧いてくる事でしょう。卒業式の形は民主教育によって変わっても、親子、先生と生徒の関係は変わりません。昨今は地域の役割が随分薄らいできてしまいました。残念なことであります。子供は地域の宝、少しでも来たい役割を果たせるよう努力したいと、気を引き締めて参りました。校庭に出ると白木蓮が満開でした。卒業生、おめでとうございます。
これから、会長は出勤です。

2007年3月12日(月)
今日も元気に行ってらっしゃい。お帰りなさい。

県道を行くサラリーマンや学生さんを愛想が良い狸さんが見つめてくれています。「元気に行ってらっしゃい。お帰りなさい」大きな笠を被っているのは「災難よけ」。徳利は「食べるのに困らないように」大福帳は「信用を大切に」大きなあそこは「金運に恵まれるように」等など「八相縁喜」を備えて。結構な事です。狸さんに送られて今日も頑張って来ます。狸さんの足元にはもう春の花が一杯です。

2007年3月5日(月)
水温む

桜橋の改修も終えたであろうと、柏尾川に見に行きました。橋の欄干は桜色に、橋脚は水色に綺麗に塗られていました。もうじき戸塚小学校にも新入生が真新しい橋をお母さんに連れられて来るのだろう、嬉しくもなりました。川面にはもう冬鳥はいなくなり寂しくなっていました。一羽の白鷺と、川鵜が連れ添って漁にいそしんでいました。白鷺は川岸にいて、嘴を突っ込んでいますし、川鵜は深みを選んで潜っています。得意技は違っても、二羽は仲良く連れ添っていました。
 水温み 白鷺川鵜 連れ添って
 新入学 歓声ひびき 水温み

2007年3月5日(月)
もう、春爛漫です

未だ、桃の節句なのに、町内は春爛漫です。久し振りに、ゆっくり歩いていましたら、紅梅に、白木蓮に、桃が一度に咲いていました。場所は二班の線路の近くのお宅です。最近は「ミモザ」の木も目立ち始めました。昔はレンギョウだったのに,庭木にも「うつりすたり」があるものなのですね。

2007年2月2日(金)
ふきのとうが咲き出しました

明日は節分と言うのに、もう町内の野山は春の装いが始まりました。写真は某所の土手に咲いたふきのとうです。場所は教えません。でも、もう見つけるのに苦労はしないと思いますよ。お出かけしてみれば、簡単に見つかりますよ。土筆も顔を出しました。みんなで草摘みをして、水車に持ち込んで、小板橋さんに天麩羅に揚げていただいたら、それは美味しいでしょうね。

2007年2月1日(木)
笈川梅園(仮名)は花盛り

町内に最高の梅園があるのをご存知ですか。先ずは右の写真を見てください。2月中旬までは楽しめそうですから、是非とも観梅と、季節を楽しんでください。場所は盛徳寺の西側、笈川さんの梅園です。水車さんの前笈川さんのご家族にお会いしたら、ご挨拶してください。桜は20年もすれば立派な木になりますが、梅ノ木は風格が出るまで時間もかかりますし、手入れも大変です。筆者はご近所ですから、見ていますと、ご家族全員で、特にお爺さん(正男様)が夜遅くまで枝落としをされていられます。ご家族の丹精があってこそ、木が育ち、かぐわしい花が咲きます。遠くに見える観音様、「大川観音」と呼びます。1985年筆者の竹内(会長)が大阪に赴任していた時、父から指示が出ました。「祖母ノブが100年かけて蓄えた小遣いで、観音様を造立したい。お前は京都の仏具屋に行って、注文して来い」。 祖母の夢に出て、諭したと言う観音様、盛徳寺の本尊「白衣観音」を模り、著名な日展作家の小像がら鋳型を起こしました。京都太秦の鋳物工場には鋳型から立ち上げる度毎にうかがい、次第に出来上がる観音様に胸躍らせたものでありました。開眼の折ノブの原稿を整理して「大川の流れ」を出版しました。私の祖母を知る人も数少なくなりました、が、親子三代の想い出が観音様にこめられています。
八木重吉の詩集「貧しき信徒」から一編を紹介します。

ひとつの気持ちをもっていて 暖かくなったので梅の花が咲いた。その気持ちがそのまま良い香りにもなるのだろう。

実に及川梅園は芳香であります。

2007年1月27日(土)
倉田連合町内会が実施される

今年最初の上倉田連合町内会が実施されました。席上塩野会長から今年の方針が述べられました。会長個人はこの三月で一期二年の任期を終えることから、会長を辞任し若い人に席を譲りたいと述べられました。しかし、現実的にはこの大役を引き受けたい人もいないし、引き受けられる人もいないので、もう一年継続して欲しい、とした各代表の意向を確認したことに留まりました。一方では副理事長を4町内会に任せないで、自治会会長経験者を含めて考え直す、ことで合意されました。
各町内会とも、新役員人事で、腐心している状況が報告されました。住み良い町にする事は、自身にとっても、家族にとっても重要な事です。今年から、地元に少し関心を持っていただきたいものです。又、各町内会共に、「どうしたら、参加者を増やせるか」「どうしたら、町内会活動を活発に出来るか」検討し、実施してゆきたいと、述べられました。
当町内も3月末で役員交代であります。こう言う会長の竹内も2年間勤めました。やめたいと思っても、後任が出来なければやめられません。上手に引き継げるよう、積極的に町内会活動にご参加いただけますよう、お願いいたします。

2007年1月9日(火)
ゴミがゴミを呼ぶ

写真は当町内6班の線路脇ゴミ捨て場のお正月明け風景です。廃棄自転車が4台も捨てられています。再三この捨て場には大きなゴミが捨てられてしまいます。そのたびごとに青山さんや役員、班の委員さんが区に連絡して、処理していただいてますが、ゴミと清掃の追いかけっこです。近隣の道路用地の買収が終わり、空き家が撤去されない限り、綺麗にはならないし、放火などの危険は拭えないでしょう。今年も、ゴミ対策は大変です。G30作戦は反対はしませんが、住民は町が綺麗になり、安全安心に住みたい訳で、ゴミが出にくいような街づくりを奨めて欲しいものです。綺麗な町にはゴミが出にくく、汚れていれば、自動車でドンドンゴミを捨て行かれてしまいます。せめて、ゴミ捨て場を綺麗にする為の資金ぐらい出してくれてもいいのじゃないかと思って、昨年の区との地域懇談会で訴えたのでしたが、全く駄目でした。仕方が無いので、町内会費を工面してでも、ゴミ捨て場を徐々に綺麗にするよう投資をしようと考えてます。どうでしょうか?

2007年1月6日(土)
消防出初式

折からの冷たい雨の中、今年も消防出初式が挙行されました。会場は戸塚小学校。例年通り開催されましたものの、雨は降り止まず、柏尾川の喫水線を越えそうな状況でした。10時から永年勤続者などの表彰が行われ、11時過ぎいよいよ柏尾川での一斉放水の頃には、水量が嵩んで、消防自動車が川水にしたる状態になってしまいました。止むを得ず休止。^年は元気はいいものの波乱万丈、そんな予感でした。でも、50台余の消防車が勢揃いした様は圧巻でした。去年は一斉放水し、その中に虹も見えたのに、残念。皆さん、来年は見てくださいね。それにしても、消防士はじめ関係者の皆さん、ご苦労様でした。体が芯から冷えたでしょう。お陰さまで、安心して過ごせます。何をおいても、感謝、感謝。

2007年1月5日(金)
賀詞交換会報告(今年もゴミ対策)

今年も賀詞交換会が実施されました。時節柄質素に、会費制で。今年は中田市長が来られてご挨拶。でも、過半は昨年のG30のお礼、と思いきや「リバウンドで、ゴミが増えないように牽制。ついでに、隣の栄区は5%減少しているのに、戸塚区は1%しか減少していない、とはっぱをかけて帰られた。30%ゴミが減った財政効果は200億円だとか、吹いた上で負担はみんな区民任せではコリゴリだ。当町内ではゴミ捨て場に廃棄家電品や自転車が放置されている。セッセセッセと片付けても、又ゴミが出る。浮いたお金でゴミ捨て場を少し綺麗にしてくれれば、ゴミ捨てする人も減るし、町は綺麗になる。昔から衣食足りて礼節を知る、と言うじゃないか。一寸違うかもしれないが、ゴミ捨て場が綺麗であれば、ゴミも減るし、街も綺麗になる。汚れているから、ゴミがゴミを呼び、空き巣まで呼び込んでしまう。財政再建は大切だが、しわ寄せ市民だけは勘弁願いたい。
写真は、賀詞交換会の風景です。
環境推進員の富田さん、岩崎さん今年もお疲れさんです。よろしくお願いします。





   
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